ドラゴンの運命
(魔術師の環 第三巻)
モーガン・ライス
モーガン・ライス
モーガン・ライスはいずれもベストセラーとなった、ヤング・アダルトシリーズ「ヴァンパイア・ジャーナル」(1-11巻・続刊)、世紀末後を描いたスリラーシリーズ「サバイバル・トリロジー」(1-2巻・続刊)、叙事詩的ファンタジーシリーズ「魔術師の環」(1-13巻・続刊)の著者です。
モーガンの作品はオーディオブックおよび書籍でお楽しみいただけます。現在、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、日本語、中国語、スウェーデン語、オランダ語、トルコ語、ハンガリー語、チェコ語およびスロバキア語に翻訳され、他の言語版も刊行予定です。
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モーガン・ライス賞賛の声
「魔術師の環には、直ちに人気を博す要素がすべて揃っている。陰謀、敵の裏をかく策略、ミステリー、勇敢な騎士たち、深まっていく人間関係、失恋、いつわりと裏切り。すべての年齢層を満足させ、何時間でも読書の楽しみが続く。ファンタジーの読者すべての蔵書としておすすめの一冊。」 - ブックス・アンド・ムービー・レビューズ、ロベルト・マットス
「ライスは設定を単純に描き出す次元を超えた描写で最初から読者をストーリーに引きずり込む・・・とてもよい出来栄えで、一気に読めてしまう。」 - ブラック・ラグーン・レビューズ(「変身」評)
「若い読者にぴったりのストーリー。モーガン・ライスは興味を引くひねりをうまく利かせていて、新鮮でユニーク。シリーズは一人の少女を中心に描かれる・・・それもひどくとっぴな! 読みやすくて、どんどん先に進む・・・PG作品。」 - ザ・ロマンス・レビューズ(「変身」評)
「冒頭から読者の注意を引いて離さない・・・テンポが速く、始めからアクション満載のすごい冒険がこの物語のストーリー。退屈な瞬間など全くない。」 - パラノーマル・ロマンス・ギルド(「変身」評)
「アクション、ロマンス、アドベンチャー、そしてサスペンスがぎっしり詰まっている。このストーリーに触れたら、もう一度恋に落ちる。」 - vampirebooksite.com (「変身」評)
「プロットが素晴らしく、特に夜でも閉じることができなくなるタイプの本。最後までわからない劇的な結末で、次に何が起こるか知りたくてすぐに続編が買いたくなるはず。」 - ザ・ダラス・エグザミナー(「恋愛」評)
「トワイライトやヴァンパイア・ダイアリーズに匹敵し、最後のページまで読んでしまいたいと思わせる本!アドベンチャー、恋愛、そして吸血鬼にはまっているなら、この本はおあつらえ向きだ!」 - Vampirebooksite.com ( 「変身」評)
「モーガン・ライスは、才能あふれるストーリーテラーであることをまたもや証明してみせた・・・ヴァンパイアやファンタジー・ジャンルの若いファンのほか、あらゆる読者に訴えかける作品。最後までわからない、思いがけない結末にショックを受けるだろう。」 - ザ・ロマンス・レビューズ(「恋愛」評)
モーガン・ライスの本
魔術師の環
英雄たちの探求(第一巻)
王の行進(第二巻)
ドラゴンの運命(第三巻)
名誉の叫び(第四巻)
栄光の誓い(第五巻)
勇者の進撃(第六巻)
剣の儀式(第七巻)
武器の授与(第八巻)
呪文の空(第九巻)
盾の海(第十巻)
鋼鉄の支配(第十一巻)
炎の大地(第十二巻)
女王の君臨(第十三巻)
兄弟の誓い(第十四巻)
生けるものの夢(第十五巻)
騎士の戦い(第十六巻)
天賦の武器(第十七巻)
サバイバル・トリロジー
アリーナ1:スレーブランナー(第一巻)
アリーナ2(第二巻)
ヴァンパイア・ジャーナル
変身(第一巻)
恋愛(第二巻)
背信(第三巻)
運命(第四巻)
欲望(第五巻)
婚約(第六巻)
誓約(第七巻)
発見(第八巻)
復活(第九巻)
渇望(第十巻)
宿命(第十一巻)
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カバー画像の著作権はBob Orsilloに属し、Shutterstock.comの許可を得て使用しています。
目次
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章
第十一章
第十二章
第十三章
第十四章
第十五章
第十六章
第十七章
第十八章
第十九章
第ニ十章
第二十一章
第二十二章
第二十三章
第二十四章
第二十五章
第二十六章
第二十七章
第二十八章
第二十九章
第三十章
第三十一章
「竜の逆鱗に触れてはならない。」
—ウィリアム・シェークスピア
リア王
第一章
マクラウド王は数百人の部下を従えて、山中を疾走する馬に必死にしがみついて坂を駆け下り、高原を横切ってリングのマッギル側へと入った。背後に手を伸ばし、高く上げた鞭を引いては馬の皮膚を強く打った。王の馬に催促は必要なかったが、彼はいずれにしても鞭を使いたがった。動物を痛めつけるのを楽しんでいたのだ。
マクラウドは目の前の景色を、よだれが出そうなほどうらやましく思った。牧歌的なマッギルの村。男たちは武器も持たず野に出て、女たちは、夏の陽気に服らしい服もまとわず家で亜麻糸を紡いでいた。家の戸は開け放たれ、鶏は自由に歩き回っている。大鍋が煮え立ち、夕食の用意ができていた。略奪し、女たちを辱める - マクラウドはどんな狼藉を働こうかと考え、ほくそ笑んだ。 流される血の味を味わえそうなほどに。
彼らは走り続け、馬が雷鳴のようなとどろきを響かせて、田園地帯へと広がっていく。やがてそれに気づいた者があった。村の番人である。兵士と呼ぶにはお粗末な十代の少年で、槍を手に立ち、一団が近づいてくる音に振り向いたのだった。マクラウドは、彼が目を白くしているのを見つめ、その顔に恐怖と狼狽の色を見た。この退屈な駐屯地では、少年は恐らく戦など一度も目にしたことがないのだろう。嘆かわしいほど、何の準備もできていなかった。
マクラウドは時間を無駄にしなかった。戦いではいつもそうだが、最初の獲物が必要だった。部下たちはそれを彼に差し出すことをよく心得ていた。
彼は馬が金切声を上げるまでもう一度鞭を当てると、スピードを上げ、他の者を追い越して先頭に走り出た。先祖伝来の重い鉄槍を高々と挙げ、のけぞって槍を放った。
いつもながらその狙いは正しかった。少年が振り向く間もなく、槍は彼の背中に命中して射通し、音を立てて少年を木にくぎ付けにした。血が背中から吹き出し、それだけでマクラウドは満足だった。
マクラウドは短く喜びの声を上げた。その間も、皆はこのマッギルの選りすぐりの土地で、茎が風にたなびいて馬の腿に届き、村の門へと続く黄色いトウモロコシの間を縫って突撃を続けた。美しすぎる日だった。これからもたらそうとしている破壊と比べ、美しすぎるほどの絵。
一団は警護の固められていない村の門を抜けて進んだ。ここは高原に近く、リングの外側に位置するだけあって呑気なものだ。考えればわかるだろうに。マクラウドは軽蔑をこめてそう思いながら斧を振り上げ、この場所を示す木の標識を切り落とした。地名は彼が直に変えさせるだろう。
部下が村に入り、マクラウドの周囲に、この辺鄙な土地の女子供や老人たち、そしてたまたま家に居合わせた者たちの叫び声があふれた。そうしたつきのない者は恐らく数百人はいただろう。マクラウドは彼ら全員を懲らしめるつもりだった。一人の女性に特に目を付け、斧を頭上高く振り上げた。彼に背を向け、安全な家に駆け戻ろうとしていた。あり得ないことだ。
斧が、マクラウドが狙ったとおり女のふくらはぎに当たり、女は叫び声を上げて倒れた。彼は殺そうとは思っていなかった。傷つけたかっただけだ。いずれにせよ、後で楽しむために生かしておきたかった。よく選んだものだ。自然なままの、長いブロンドの髪と細い腰、18にもなっていないだろう。この女は彼のものだ。この娘に飽きたら、殺すのはその時だ。いや、そうしないかも知れない。恐らく奴隷として生かしておくだろう。
彼は嬉しそうに叫びながら女のそばまで寄り、半歩進んだところで馬から飛び降りた。そして女の上に乗り、地面に組み敷いた。砂利の上を女ともども転がり、地面の感触を感じ、生きている実感を味わいながらほくそ笑んだ。
生きる意味がまたできた。
第二章
ケンドリックは嵐の中、武器庫に立っていた。周りには数十名の仲間がいる。皆鍛え上げられたシルバー騎士団のメンバーだ。彼は穏やかな目でダーロックを見た。王の衛兵隊長で、不運な使命を帯びて派遣されたのだ。ダーロックは何を考えていたのだろう?彼は本当に、武器庫にやって来て王族で最も愛されているケンドリックを、武装した仲間たちの目の前で逮捕できるとでも思ったのだろうか? 他の者たちが黙ってそうさせるとでも?
シルバー騎士団が誓うケンドリックへの忠誠を、ダーロックはかなり甘くみていた。彼が正当な告訴事由をもって逮捕しに来たとしても – この場合そうではないが - 自分が連れ去られるのを仲間たちが許すとはケンドリックには思えなかった。彼らは生涯、そして死ぬまで忠誠を誓っているのだ。それがシルバー騎士団の信条だ。他の仲間が脅威にさらされたならば、自分も同じようにしただろう。彼らは生涯、ずっと共に訓練を受け、共に戦ってきたのだ。
ケンドリックは重苦しい沈黙に緊張感を感じ取っていた。騎士たちは、ほんの12名の衛兵たちに向かって引き寄せるように武器を手にしている 。衛兵たちは後ずさりし、この時間を気詰りに感じているようだった。誰かがひとたび剣を抜けば皆殺しになることがわかっていたに違いない。賢明にも、誰もそうしようとはしなかった。皆そこに立ち、指揮官であるダーロックの命令を待った。
ダーロックは緊張した様子で、つばを飲みこんだ。自分の持つ逮捕理由には見込みがないと悟った。
「連れてきた衛兵の数が足りないようだな」ケンドリックは穏やかに言った。「シルバーの騎士100人に12人の衛兵が立ち向かうのでは、負ける理由となってしまう」
青ざめていたダーロックのほおが赤らみ、彼は咳払いをした。
「ケンドリックさま、我々は皆同じ王国に仕えております。あなたと戦いたくはない。おっしゃるとおりです。この戦いに我々が勝つ見込みはない。命令を下していただければ、この場を離れ、王の元へ戻ります」
「ですが、ガレス様が別の、更に多くの者を送り込むだけだということはお分かりだと思います。そしてこれがどのような事態を引き起こすかも。あなた方はそうした者たちを皆殺すでしょう。しかし同じ国の者の血をその手で流すことを本当にお望みでしょうか?内戦を起こしたいとお考えですか?あなたの側にしても、部下の方々の命が危険にさらされ、また誰もかれもを殺すことになります。そんなことが彼らにふさわしいでしょうか?」
ケンドリックはそのことに思いを巡らし、見つめ返した。ダーロックの言うことには一理ある。自分のために部下に傷を負わせたくはない。いかなる殺戮からも彼らを守りたいと思った。それによって自分がどうなろうとも。自分の弟のガレスがいかにひどい人間、統治者であったとしても、ケンドリックは内戦を望んではいなかった—少なくとも自分のせいで起こってほしくなかった。他の方法がある。真っ向から立ち向かうことが最も効果的であるとは限らないことを彼は学んでいた。
ケンドリックは手を伸ばし、友人アトメの剣をゆっくりと下に置いて、他のシルバーの騎士たちのほうに向きなおった。自分を守ろうとしてくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいだった。
「我がシルバーの仲間たちよ」彼は言った。「皆の加勢のおかげで謙虚な気持ちになれた。それは決して無駄ではない。皆よくわかってくれていると思うが、私は先代の王である父の死になんら関与していない。こうした事の成り行きから誰かは既に見当がついているが、真犯人を見つけたときには、私がまず最初に復讐する。私は濡れ衣を着せられてはいるが、内戦の引き金は引きたくない。だから、武器は手にとらないでいてほしい。私のことは穏やかに扱ってもらうようにする。リングの者どうしで戦うべきではないからだ。正義が存在するなら、真実はやがて白日の下にさらされる。そして私は皆のもとにすぐに返されるだろう」
シルバーの者たちはゆっくりと、不本意ながら武器を下ろし、ケンドリックはダーロックに向き直った。そして前に進み出て、ダーロックと共にドアに向かって歩き出した。自分を取り囲む王の衛兵の間を、ケンドリックは誇り高く背筋を伸ばして歩いて行った。ダーロックはケンドリックに手錠をかけようともしなかった。それは恐らく敬意または恐怖から、あるいは、ダーロックにはケンドリックが無実であるとわかっていたからかも知れない。ケンドリックは自ら新しい牢獄へと向かうだろうが、そう簡単には折れないだろう。どうにかして汚名をすすぎ、釈放させ、そして父の暗殺者を手打ちにするであろう。それが自分の弟であっても。
第三章
グウェンドリンは弟のゴドフリーと共に城の内部に立ち、ステッフェンが手をねじり、動いているのを見ていた。彼は変わり者だった。奇形で猫背であるというだけでなく、神経質なエネルギーに満ちていた。目は動きを止めることがなく、まるで罪悪感にさいなまれているかのように両手を組んでいた。一方の足からもう片方の足へと移動し、低い声でハミングをしながら同じ場所で揺れていた。長年にわたるここでの孤立した生活が彼を風変わりな者にしたのだ、とグウェンは理解した。
グウェンは、自分の父に起きたことを彼がついに明らかにしてくれるのでは、と期待して待っていた。だが、数秒から数分が経ち、ステッフェンの眉に汗がにじみ始め、その動きが激しさを増しても、何も起こらなかった。彼のハミングで時折破られる、ずっしりと重い沈黙が続くだけだった。
夏の日に燃えさかる炉の火を間近にして、グウェン自身も汗ばみ始めた。早くこれを終わらせてしまいたかった。この場所から出て二度と戻りたくなかった。グウェンはステッフェンを細かく観察して彼の表情を解読し、心の内を理解しようとした。彼は二人に何か話すと約束しておきながら、沈黙していた。こうして観察していると、考えなおしているようにも見えた。明らかに、彼は恐れを抱いている。何か隠しているのだ。やがて、ステッフェンが咳払いをした。
目を合わせ、そして床を見ながら「あの夜、何かが落とし樋に落ちてきたのは認めますよ」と話し始めた。「それが何だったかはわからねえ。金属だった。その夜便器を外に運び出して、川に何かが落ちる音を聞いた。何か変わったものでしたよ。ですからね」両手をねじり、咳払いを何度もしながら言った。「それが何であっても、川に流されちまったんでさあ。」
「それは確かか?」ゴドフリーがせっついた。
ステッフェンは勢いよく頷いた。
グウェンとゴドフリーが目を見合わせた。
「それを少しでも見たかい?」ゴドフリーが問いただす。
ステッフェンは首を振った。
「短剣のことを言っていたでしょう。見てもいないのに短剣だとどうしてわかったの?」グウェンが尋ねた。彼が嘘をついていると確信したが、それがなぜかはわからなかった。
ステッフェンは咳払いをして、
「そうじゃないかと思ったから短剣だって申しましたんでさあ」と答えた。「小さい、金属のものでしたからね。他に何がありますかい?」
「便器の底は調べたのか?」ゴドフリーが聞く。「捨てた後に。まだ便器の底にあるかも知れない」
ステッフェンは首を振った。
「底は調べましたさ。いつもそうしますからね。何もありませんでしたよ。空でした。それが何だったとしても、もう流されちまったんですよ。浮いて流れていくのを見ましたから」
「金属なら、どうしたら浮くの?」グウェンが詰問する。
ステッフェンが咳払いをし、肩をすくめた。
「川ってのは謎が多くてね」彼が答える。「流れが強いんですよ」
グウェンは疑いの目をゴドフリーと交わした。ゴドフリーの表情から、彼もステッフェンを信じていないことが見てとれた。
グウェンはますますいらいらしてきた。また途方に暮れてもいた。ほんの少し前までステッフェンは自分たちに約束どおり何もかも話そうとしていた。だが今は、突然気が変わったかのように見える。
グウェンはこの男は何か隠していると感づき、近づいて睨みつけた。一番手強そうな顔をしてみせたが、その時、父の強靭さが自分の中に注ぎ込まれるような気がした。彼の知っていることが何であれ、それを明らかにするのだと心に決めていた。それが父の暗殺者を見つけるのに役立つのであれば尚更だ。
「あなた、嘘をついているわね」鉄のように冷たい声で彼女は言った。そこに込められた力に自分でも驚いた。「王族に偽証したらどんな罰が待っているか知っている?」
ステッフェンは両手をねじり、その場で跳び上がりそうになった。一瞬彼女のほうを見上げたかと思うと、すぐに目をそらした。
「すみません」と彼は言った。「申し訳ない。お願いだ。これ以上何も話すことはないんですよ」
「前に私たちに知っていることを話せば牢屋に入らなくて済むか、って聞いたわね」グウェンが言う。「でも何も話さなかった。何も話すことがないなら、なぜその質問をしたの?」
ステッフェンは唇をなめ、床を見下ろした。
「あた、あたしゃ・・・」彼は言いかけてやめ、咳払いをした。「心配だったんでさあ。落とし樋で物が落ちてきたことを報告しなかったら厄介なことになるんじゃあないかって。それだけですよ。すんませんでした。それが何だったかはわかりません。なくなっちまいましたから」
グウェンは目を細めた。彼をじっと見つめ、この変わり者の本性を見極めようとした。
「あなたの親方には一体何があったの?」見逃すまいとばかりに彼女は聞いた。「行方不明になっているって聞いているけど。そしてあなたが何か関係しているとも」
ステッフェンは何度も首を振った。
「いなくなったんですよ」ステッフェンが答えた。「それしか知りません。すみませんが、お役に立てるようなことは何も知らないんですよ」
突然、部屋の向こう側から大きなシューという音が聞こえ、皆振り返って、汚物が落とし樋に落ちて大きな便器の中に音を立てて着地するのを見た。 ステッフェンは振り向くと部屋を横切って便器まで急いで走って行った。脇に立ち、上の階の部屋からの汚物で満たされているのを見ていた。
グウェンがゴドフリーの方を見ると、彼もこちらを見ていた。同じように途方に暮れた顔付きだった。
「何を隠しているにせよ」グウェンは言った。「それを明かすつもりはなさそうだわ」
「牢屋に入れることもできる。」ゴドフリーが言う。「それでしゃべらせることができるかも知れない」
グウェンは首を振った。
「それはないと思う。この男の場合は。明らかに、ひどく怯えているわ。親方と関係があると思う。何かに悩まされているのは明らかだけど、それが父上の死に関係があるとは思えない。私たちの助けになることを何か知っているようだけど、追いつめたら口を閉ざしてしまう気がする。」
「なら、どうしたら良い?」ゴドフリーが聞いた。
グウェンは止まって考えていた。子供のころ、嘘をついたのが見つかった友達のことを思い出していた。両親が本当のことを言うよう詰め寄ったが、本人は決してそうしなかった。自分から進んですべてを明らかにしたのは、誰もが彼女を一人にしてあげるようになった数週間後のことだった。グウェンは同じエネルギーがステッフェンから出ているのを感じ取っていた。彼を追いつめたら頑なになってしまうこと、自分から出てくるスペースが彼に必要なことも。
「時間をあげましょう」グウェンは言った。「そして他を探すのよ。何を見つけられるかやってみて、もっとわかってから彼のところに戻るの。 彼は口を開くと思うわ。まだ準備ができていないだけ」
グウェンは振り返って部屋の向こう側のステッフェンを見た。 大鍋を埋めていく汚物をチェックしている。グウェンは彼が父の暗殺者へと導いてくれるのを確信していた。それがどのようになるかはわからなかった。彼の心の奥底にどのような秘密が潜んでいるのだろうか、と考えた。
不思議な人だわ、グウェンは思った。本当に変わっていた。
第四章
ソアは、目、鼻、口を覆い、辺り一面に注ぎ込む水をまばたきで払いながら、息をしようとしていた。船に滑り込んだ後、やっとの思いで木の手すりをつかみ、水が容赦なく握りしめる手を引き離そうとするのに抗い、必死にしがみついていた。体中の筋肉が震え、あとどれくらい持ちこたえられるかわからなかった。
周囲では仲間たちも同じように、ありったけのものにしがみついていた。水が船から叩き落とそうとするなか、なんとか踏みとどまっていた。
耳をつんざくような大きな音がし、数フィート先もよく見えなかった。夏の日だというのに雨は冷たく、ソアの体は冷え切って水を振り落すこともできなかった。コルクが立ちはだかり、まるで雨の壁も通さないかのように腰に手を当て、にらみつけながら自分の周囲に向かって吠えている。
「座席に戻れ!」コルクが叫んだ。「漕ぐんだ!」
コルク自身も席に着き漕ぎ始めた。間もなく少年たちがデッキ中を滑ったり、這ったりしながら、席に向かった。ソアが手を離してデッキを横切っていく時、心臓が激しく打った。ソアは滑っては転び、デッキに強く叩きつけられた。シャツの中でクローンが哀れな声を上げていた。
後はなんとか這ってすぐに席にたどり着いた。
「しっかりと結び付けておけ!」コルクが叫ぶ。
ソアが見下ろすと、結び目のついたロープがベンチの下にあった。何のためにあるものかやっとわかった。手を伸ばして手首の周りに結び、席とオールに自分を固定させた。
これが役に立った。もう滑らない。すぐに漕げるようになった。
周りでも少年たちが皆漕ぎ始めた。リースはソアの前の席だった。船が進んでいる感覚があり、数分もすると、雨の壁が前方で明るくなった。
漕げば漕ぐほど、このおかしな雨のせいで皮膚が焼けるようで、体中の筋肉が痛む。やっと雨の音が静まり始め、頭に降り注ぐ雨の量が減ったのが感じられた。その後すぐに、太陽が照る場所に出た。
ソアは辺りを見回し、ショックを受けた。すっかり晴れ上がって、明るい。これほどおかしなことは経験したことがない。船の半分は晴れて太陽が輝く空の下にあり、もう半分は雨の壁を通過し終えようというところで雨が激しく降り注いでいる。
やがて船全体が澄みわたった青と黄色の空の下に入り、あたたかな太陽の光が皆の上に注いだ。雨の壁があっという間に消えて静けさが訪れ、仲間たちは驚きに互いの顔を見合わせていた。まるでカーテンを通り過ぎて別世界に入ったかのようだった。
「休め!」コルクが叫んだ。
ソアの周りの少年たちが皆一斉にうめき声を上げ、あえぎながら休んだ。ソアも体中の筋肉の震えを感じながら同じようにし、休憩に感謝した。船が新たな海域に入ったのに合わせ、倒れこんであえぎ、痛む筋肉を休めようとした。
ソアはようやく回復し、辺りを見回した。水面を見ると、色が変わっているのに気付いた。今は淡く輝く赤色になっている。違う海域に入ったのだ。
「ドラゴンの海だ」隣にいたリースも驚いて見下ろしながら言った。 「犠牲者の血で赤く染まったって言われてるんだ」
ソアはその色を見つめた。ところどころ泡が立っている。離れたところで奇妙な獣が瞬間的に顔を出してはまた潜っていく。どれもあまり長い間水面にとどまらないため、よく見ることができない。だが、運にまかせて、もっと近くまで乗り出して見たいとも思わなかった。
ソアはすべてを理解し、混乱していた。雨の壁のこちら側は何もかもが異質だ。大気にはわずかに赤い霧まであり、水面上を低く覆っている。水平線を見ると、数十もの小さな島々が飛び石のように広がっている。
風がいくらか強くなってきた。コルクが進みでて叫ぶ。
「帆を揚げよ!」
ソアは周りの少年たちと共に迅速に動いた。ロープをつかみ、風をつかまえられるように引き上げる。帆が風を孕んだ。ソアは自分たちの下で船が今までにないスピードで前進していくのを感じ、一行は島を目指した。船が大きくうねる波に揺さぶられ、唐突に押し上げられては、静かに上下した。
ソアはへさきに向かって行き、手すりに寄りかかって遠くを見渡した。リースが隣にやって来て、オコナーも反対側に立った。ソアは二人と並んで立ち、島々がどんどん近づいてくるのを見ていた。長いこと黙ったままそうしていた。ソアは湿ったそよ風を満喫しながら体を休めた。
やがて、自分たちがある島を特に目指していることにソアは気づいた。どんどん大きく見えてくる。そこが目的地であることがわかるにつれ、ソアは寒気を覚えた。
「ミスト島、霧の島だ」リースが畏れを持ってそう言った。
ソアは目を見張り、じっくり観察した。その形に焦点が合ってくる。岩が多くごつごつした不毛の土地だ。それぞれの方角に長く細く何マイルも広がって、馬蹄型をしている。岸では大波が砕け、ここからでもその音が聞こえる。そして大岩にぶつかっては巨大な泡状のしぶきを上げていた。大岩の向こうには小さな一握りの土地があり、崖がまっすぐ空に向かってそびえ立っていた。ソアには船が安全に着岸できるかどうかわからなかった。
この場所の奇怪さに加え、赤い霧が島全体に立ち込めて、露が太陽にきらめき、不気味な雰囲気を醸し出していた。ソアはこの場所に非人間的な、この世のものではない何かを感じ取っていた。
「ここは数百万年も前から存在していたらしい。」オコナーが付け加えて言う。「リングより古い。王国よりも古いんだ」
「ドラゴンの地だ」リースの隣にやって来たエルデンが言う。
ソアが見ている間に、突然二番目の太陽が沈んだ。あっという間に太陽が輝く昼間から日暮れ時へと変わり、空は赤紫色に染まった。信じられなかった。これほど太陽が素早い動きを見せるのを見たことがない。この地で、他にも他と異なるものは一体何なのだろうと思った。
「この島にドラゴンが棲んでいるのかい?」ソアが尋ねた。
エルデンが首を振る。
「いや、近くに棲んでいるとは聞いている。赤い霧がドラゴンの息から作られると言われている。隣の島でドラゴンが夜に息をし、それが風で運ばれて日中島を覆うらしい」
ソアは突然物音を聞いた。それは始めは雷のような低いとどろきに聞こえた。長く、大きい音で船が揺れた。シャツの中に居たクローンが頭を引っ込め、哀れっぽい声を出した。
他の者たちは皆くるりと向きを変えた。ソアも振り返り、見渡した。水平線上のどこかに炎の輪郭がかすかに見えるような気がした。沈む太陽を舐めるような炎がやがて黒煙を残して消えた。まるで小さな火山が噴火したかのようだった。
「ドラゴンだ」リースが言った。「僕たちは今、奴の縄張りに入ったんだ」
ソアは息を呑み、考えた。
「どうして僕たちは安全でいられるんだ?」オコナーが聞いた
「どこにいても安全ではない」声が響き渡った。
ソアが振り返ると、コルクがそこに立っていた。腰に手を当て、皆の肩越しに水平線を見ている。
「あそこが百日間の場所だ。死の危険と日々を共にする。これは訓練ではない。ドラゴンがすぐ近くに生息し、その攻撃を止めることはできない。自分の島にある宝を守っているために攻撃をしかける可能性は低い。ドラゴンは自分の宝を置いたまま離れることを好まない。しかし君たちはその遠吠えを聞き、夜間にはその炎を目にするだろう。そして、どうかしてドラゴンの怒りを買うことがあれば、何が起こるかわからない」
ソアは再び低い鳴動を聞き、水平線上の炎が噴き出すのを見た。島に近づいていく間、波がそこで砕けるのを見つめていた。険しい崖、岩の壁を見上げ、どうやっててっぺんの平地にたどり着くのだろうかと考えた。
「船が着岸する場所が見当たりません。」ソアが言った。
「それは簡単なことだ」コルクがすぐに言い返す。
「ではどうやって島に上陸するのですか?」オコナーが尋ねる。
コルクが微笑んで見下ろした。不吉な笑みである。
「泳げば良いのだ」コルクが言った。
一瞬、ソアはコルクがふざけているのかと思った。だが彼の顔の表情からそうではないと悟った。ソアは息を呑んだ。
「泳ぐ?」リースが信じられない様子で繰り返した。
「あの海域には生き物がうようよしているじゃないか!」エルデンが叫ぶ。
「あんなのは可愛いものだ」コルクが続けて言う。「ここの流れは油断できないぞ。渦には飲み込まれる。波にはギザギザの岩に叩きつけられる。水は熱く、岩をやり過ごせても、陸にたどり着くためあの崖を登る方法を見つけねばならん。それも海の生き物がまず君らを捕まえなければだが。さあ、新しい住処へようこそ」
ソアは手すりの端で、眼下の泡立つ海を見下ろしながら皆と立ちすくんだ。そこでは水が生き物のように渦巻き、流れが一秒ごとに強くなっていく。船を揺らし、バランスを保つのがますます難しくなってきている。足下で波が狂ったように泡立ち、明るい赤色は地獄の血そのものを含んでいるかのようだ。最悪なのは、ソアが見たところでは、別の海の怪物が数フィートごとに顔を出していることだ。水面に上がってきては長い歯で噛みつくようにしてはまた潜っていく。
岸から遠く離れているのに、船が突然碇を降ろした。ソアは息を呑んだ。島を縁どる大岩を見上げた。自分たちが、ここからあそこまでどうやってたどり着いたものかと考えた。波の砕ける音は毎秒大きくなっていき、話す時は相手に聞こえるよう大声を出さなければならない。
見る見るうちに、幾つものボートが海に降ろされ、その後、船から30ヤードは優にあるだろう、遠く離れた場所へ指揮官たちにより動かされた。これは簡単じゃない。そこに行くまで泳いでいかなくてはならない。
そう思っただけでソアは胃が締め付けられた。
「跳べ!」コルクが大声で号令をかける。
初めて、ソアは恐怖を感じた。それはリージョンのメンバーや戦士としてふさわしくないことなのでは、と思った。戦士はいついかなる時も恐れてはならないとわかっていたが、今恐怖を感じていることは認めざるを得なかった。それが嫌で、そうでないことを願ったが、事実だった。
だが、周りを見て他の少年たちの恐怖におののく顔が目に入ると、ソアは少し気が楽になった。皆が手すりの近くで海面を見つめ、恐怖に立ち尽くしている。一人の少年は特に恐怖のあまり震えていた。盾を使った訓練の日に、恐れから競技場を走らされたあの少年だ。
コルクはそれに気付いたに違いない。船上を横切って少年のほうへやって来た。風で髪が吹き上げられても気にする様子もない。しかめっ面で、自然をも征服するかのような勢いだ。
「跳ぶんだ!」コルクは叫んだ。
「いやだ!」少年が答えた。「できません!絶対にするものか!泳げないんです!家に帰してください!」
コルクは少年のほうに向かって真っすぐ歩いて行き、少年が手すりから離れようとした時、シャツの背中をつかみ、床から高く持ち上げた。
「ならば泳ぎを覚えるがよい!」コルクはそう怒鳴ると、船の端から少年を放った。ソアには信じられなかった。
少年は叫びながら宙を飛んで行き、15フィートは先の泡立つ海に落ちた。しぶきを上げて着水し、水面に浮かんだ。ばたばたと体を動かし、息つぎをしようと喘いでいる。