「助けて!」少年は叫んだ。
「リージョンの最初の規則は?」コルクは水面の少年には目もくれず、船上の他の少年たちのほうを向き大声で聞いた。
ソアには正しい答えがおぼろげにわかっていたが、下で溺れかけている少年のほうに気が行ってしまい、答えられない。
「助けが必要なリージョンのメンバーを救うこと!」エルデンが叫ぶように言った。
「彼には助けが必要か?」コルクが少年を指さしながら聞く。
少年は腕を上げ、水面で浮いたり沈んだりしている。他の少年たちはデッキに立ち、恐怖で飛び込めないまま見つめている。
その瞬間、ソアに予想外のことが起きた。溺れかけている少年に注意を向けているうち、他のことがすべてどうでもよくなってしまった。 ソアはもはや自分のことなど考えていなかった。自分が死ぬかもしれないということは考えもしなかった。海、怪物、海流・・・それらすべてが消えていった。今考えられるのは人を救うことだけだ。
ソアは幅広の樫の手すりに登って膝を曲げると、考える間もなく宙高く跳び上がり、足下の泡立つ海に頭から飛び込んだ。
第五章
ガレスは大広間の父の王座に座り、滑らかな木製の肘掛に沿って手をさすりながら目の前の光景を見ていた。数千人もの臣民が室内を埋め尽くしていた。一生に一度しかない行事、ガレスが運命の剣を振りかざすことができるかどうか、選ばれし者かどうかを見とどけに、リング内のあらゆる場所から人が集まったのだ。国民は、父君の若かりし頃以来剣を持ち上げる儀式を見る機会がなかったため、誰もこのチャンスを逃したくなかった。興奮が巷に渦巻いていた。
ガレスは期待しながらもぼう然としていた。人がますます溢れ、室内が膨れ上がるのを見るにつけ、父の顧問団が正しかったのではないか、と思い始めた。剣の儀式を大広間で行い、一般に公開するのはあまりよい考えではなかったのではないかと。彼らは非公開の小さな剣の間で行うよう求めた。失敗した場合、それを目撃する者がわずかしかいないという理由だった。だがガレスは父の家来を信用しなかった。父の古い側近よりも自分の運命に信を置いていた。そしてもし成功した場合、自分の手柄を、自分が選ばれし者であることを王国中の者に見てほしかった。その瞬間をその場で記録にとどめたかったのだ。彼の運命が決まる瞬間を。
ガレスは優雅な物腰で広間に入場した。王冠と王衣を身に着け、笏を振りながら
、顧問たちに付き添われて進んだ。彼は、父でなく自分が真の王であること、真のマッギルであることを皆に知らしめたかった。予想どおり、ここが自分の城で、人々が自分の臣民であるとガレスが実感するまでにそれほどかからなかった。彼は皆にもそう実感してもらい、権力を示すのを多くの者に見てもらいたかった。今日から皆ははっきりと、自分が唯一の、本物の王であると知ることになるだろう。
だが、ガレスは今この王座に一人座り、部屋の中央にある、剣を置く鉄の突起が天井から差す陽光に照らされるのを見ながら、それほど確信が持てなくなっていた。自分がしようとしていることの重みが彼にのしかかっていた。もう後戻りのできない段階だ。もし失敗したら?ガレスはその考えを頭から払いのけようとした。
広間の向こう側の大きい扉が、きしむ音を立てながら開いた。興奮気味の「しーっ!」という声とともに、広間は期待に満ちた静寂に包まれた。12名の宮廷で最も屈強な者たちが、間に剣を掲げながら入場した。その重さに苦労している。片側6名ずつの男たちが、剣の安置場所まで一歩ずつ行進していく。
剣が近づくにつれ、ガレスの心臓は鼓動が早くなった。一瞬、自信が揺らいだ。今まで見たことがないほど大柄の、この12名の男たちに持ち上げることができないのなら、自分にできる見込みなどあるのだろうか?だが、ガレスはそのことは考えないようにした。剣は運命に関係しているのであって、権力ではないのだ。そして、ここにいること、マッギル家の第一子であること、王であることが自分の運命なのだと自分にいい聞かせた。会衆の中にアルゴンの姿を探した。どういうわけか、急に彼の助言を無性に仰ぎたくなった。その助けが最も必要な時だった。なぜか、他の者は思い浮かばなかった。だが、アルゴンの姿はなかった。
やがて12名の男たちは広間の中央まで進み、太陽の光が差し込む場所に剣を運んで、鉄製の突起状の台に安置した。金属の音が響き、室内にこだまするなか剣が置かれ、静寂が広がった。
会衆は自然と分かれて、ガレスが剣を持ち上げるために進めるよう道を開けた。
ガレスは王座からゆっくりと立ち上がり、この瞬間と、自分が集めている注目とを味わった。全員の目が自分に注がれているのを感じた。王国の誰もが完全に、これほどの注意を向けて自分を見つめ、自分の動きのすべてを見ようとする、このような時は二度とやって来ないだろうとわかっていた。子供の頃から、この瞬間を心の中で何度も思い描き、そして今その時がやってきた。ゆっくりと時が流れて欲しいと思った。
王座の階段を一段ずつゆっくり味わいながら下った。足下の真紅の絨毯を、その柔らかさを感じながら、一筋の太陽の光に、剣に近づいて行った。それは夢の中を歩いているようだった。自分が自分でないような気がした。自分の中に、以前夢の中でこの絨毯を何度も歩き、剣を何百万回も持ち上げたことのある自分があった。それが一層、自分が剣を持ち上げるよう運命づけられていると、運命に向かって歩いているのだと感じさせた。
どう事が運ぶか、ガレスは頭の中で思い描いた。堂々と進み出て片手を伸ばし、臣民が乗りだして見守る中、素早く劇的に剣を振り上げ、頭上にかざして見せる。皆、息を呑み、ひれ伏して彼を選ばれし者であると宣言する。歴代のマッギルの王のうち最も重要で、永遠に支配することを運命づけられた者として。その光景に皆が歓喜の涙を流すのだ。そして彼を畏れ、服従する。これを見るために生きてきたことを神に感謝し、彼こそ神であるとあがめる。
ガレスは剣にあと数フィートというところまで近づき、体の中で震えを感じていた。太陽の光の中に入ると、何度も目にしたことのある剣でありながら、その美しさにはっとさせられた。これほど近づくことは許されなかったため、驚きを禁じ得なかった。強烈だった。誰にも判別できない素材で造られた、長い輝く刃の剣は、ガレスもこれ以上華麗なものを見たことがないほどの柄を持っていた。 美しい、絹のような布に包まれて、あらゆる種類の宝石が散りばめられ、端にはハヤブサの紋章を施してある。歩み寄ってかがみ込むと、強力なエネルギーが発散されているのを感じた。鼓動しているようにさえ見えて、ガレスは息もできないほどだった。間もなく、それを手にして頭上高くに掲げることになる。太陽の光の中、誰からも見えるように。
大いなる者、ガレスとして。
彼は手を伸ばし、その柄に右手を置いた。そして宝石の一つ一つを、輪郭を感じ取りながら、ゆっくりと指を添わせ、握った。痺れる感覚を覚えた。強烈なエネルギーが手のひらから腕、そして全身へと広がった。経験したことのない感覚だった。これこそガレスのためにある瞬間、人生最高の時だ。
ガレスは一か八かやってみるというようなことはしなかった。もう片方の手も下ろし、柄にかけた。目を閉じ、浅く息をした。
神の意にかなうなら、どうかこの剣を振り上げさせてください。私に王であるしるしをお与えください。私が統治する者として運命づけられていることをお示しください。
ガレスは沈黙したまま祈った。祈りへの応え、しるし、完璧な瞬間を待った。だが数秒が、10秒がまるまる過ぎ、王国全体が見守るなか、何も起きることがなかった。
そして突然、父のこちらを睨み返している顔が見えた。
ガレスは恐怖に目を見開き、頭からその像を消し去りたかった。心臓が高鳴り、恐ろしい前兆のような気がした。
今しかない。
ガレスは前にかがみ込み、全力で剣を振り上げようとした。全身が震え、けいれんするまで力を振り絞った。
剣はびくともしなかった。まるで地球の土台を動かそうとしているかのようだった。
ガレスはまだ懸命に試みていた。はたから見てわかるぐらいにうめき声を上げ、叫んだ。
やがて彼は倒れた。
刃は1インチとて動かなかった。
ガレスが床に崩れ落ちた時、ショックに息を呑む音が室内に広がった。顧問が数名助けに駆け寄り、様子をうかがった。ガレスは乱暴を彼らを押しのけた。気まずい思いで彼は立ち上がった。
自尊心を傷つけられ、ガレスは臣民が今自分のことをどう見ているかを確かめようと見渡した。
彼らは既にガレスに背を向け、部屋から退出しようとしていた。その顔に落胆を、自分が彼らの目には失敗としか映っていないことを見てとった。今では全員が、自分が彼らの真の王ではないことを知っている。運命の、選ばれしマッギルではないと。彼は何物でもない、王座を奪ったまた別の王子でしかないと。
ガレスは恥で全身がほてるのを感じた。これほど孤独を感じたことはなかった。子供の頃から夢見てきたことのすべてが嘘で、妄想だったのだ。自分のおとぎ話を信じてきただけだった。
そのことが彼を打ちのめした。
第六章
ガレスは自室の中で歩きながら、剣を持ち上げる儀式の失敗にぼう然として頭が混乱し、その影響について整理しようとしていた。ショックで麻痺したようになっていた。マッギル家の者が七世代にもわたって誰も振り上げられなかった運命の剣。それを試そうとした自分の愚かさが信じられなかった。なぜ、自分が先祖たちよりも優れているだろうと考えたのだろうか?なぜ自分だけは違うと?
もっとよくわかっておくべきだった。慎重になり、自分を過大評価するべきではなかった。父の王座を受け継いだことに満足していればよかった。なぜそれをもっと無理に進めようとしたのだろうか?
臣民はもはや自分が選ばれし者でないことを知っている。そのことで彼の支配に傷がつくうえ、恐らく父の死に関して自分に疑いを持つ根拠が増えただろう。皆が自分のことを違う目で見始めていることに気付いていた。まるで自分が生霊で、彼らが次の王を迎える準備をしているかのように。
更にひどいのは、生まれて初めて自分に自信が持てなくなったことだった。今まで、自分の運命をはっきりと見据えてきた。父の後を継ぐ運命にあると確信してきたのだ。統治し、剣を振りかざすものだと。その自信が根底から揺らいだ。今は何も確信できなかった。
そして最悪なことに、剣を持ち上げようとした瞬間に見た父の顔がずっと目に浮かぶのだった。これは父の復讐なのだろうか?
「お見事ね」低く、皮肉な響きを持った声がした。
ガレスは、部屋に誰かいたのかと衝撃を受けて振り向いた。その声で誰かすぐにわかった。長年聞き慣れ、自分がさげすんできた妻の声。
ヘレナだ。
部屋の向こうの隅に立ち、アヘンのパイプを吸いながら自分を観察していた。深く息を吸って止め、ゆっくりと吐き出した。目は充血し、長時間吸い過ぎていることがわかった。
「ここで何をしている?」ガレスが尋ねた。
「ここは私の花嫁時代の部屋よ」彼女が答えた。「ここでは好きなことができるわ。私はあなたの妻でもあり、女王なんですから。忘れないでちょうだい。あなたと同じく私もこの国を支配しているのよ。そして今日あなたが失敗した以上、統治という言葉はあまり厳密には使わないようにするわ」
ガレスは顔が赤くなった。ヘレナはいつでも最も人をさげすむやり方で打ちのめしてくる。しかも一番不都合な時に。ガレスは彼女をどの女よりも軽蔑していた。結婚しようと決めたことが信じられなかった。
「そうなのか?」ガレスは振り向いてヘレナのほうへ向かって行きながら、怒りではらわたが煮えくり返る思いで言った。「お前は私が王であることを忘れている。妻であろうがなかろうが、他の者と同じようにお前を投獄することだってできるのだぞ」
ヘレナは軽蔑したように彼を鼻で笑い、
「それから?」と鋭く言った。「国民にあなたの性的嗜好を疑わせる?策略を練るガレスなら、そうはさせないでしょうね。人が自分のことをどう見るか誰よりも気にする人だもの」
ガレスはヘレナを前にして口をつぐんだ。自分を見透かす方法を心得ているとわかり、心からうとましく思った。彼女の脅しを理解して議論しても良いことはないと悟り、ただこぶしを握り締めて静かに立ち尽くすだけだった。.
「何が望みだ?」ガレスはあわてないように、と自分を制しながらゆっくりと聞いた。「私から何か引き出そうというのでない限りここへは来ないだろう」
ヘレナは乾いた嘲笑を浮かべた。
「私は欲しいものは何でも自分で手に入れるわ。あなたに何か要求しようと思って来たんじゃなくて、言おうと思ったことがあって来たの。剣を振り上げるのに失敗したのを皆が見たでしょう。それで私たちはどうなったかしら?」
「私たち、っていうのはどういう意味だ?」ガレスがヘレナの思惑をいぶかりながら聞いた。
「私がずっと前から知っていたことが、今や国民にもわかったということよ。つまりあなたが選ばれし者なんかじゃなくて、落伍者だってこと。おめでとう。今じゃ正式に知られたわけね」
ガレスが睨み返した。
「父も剣を振りそこなった。それで王として国を立派に治めることができなかったわけじゃない」
「でも王としての威厳には影響があったわ」ヘレナがピシャリと言う。「どんな時にもね」
「私の能力のなさに不満があるなら」ガレスが憤って言う。「ここからいなくなったらどうだ?私など置いて行きたまえ!結婚のまねごとなどやめればよいのだ。私は今や王だ。お前は必要ない」
「そのことを話題にしてくれてよかった」ヘレナが言った。「それがここに来た理由だから。結婚を終わらせて、正式に離婚したいの。好きな人がいるのよ。本物の男性よ。あなたの騎士の一人、戦士で、私が経験したことがないほど、私たちは本気で愛し合っているのよ。この関係を秘密にしておくのはもうやめにして、公にしたいの。そして彼と結婚したいので、離婚してください」
ガレスは衝撃を受けて彼女のほうを見た。胸に短剣を刺されたばかりのように、心に穴を開けられたような気がした。なぜヘレナは公にしなければならないのか?よりによって、なぜ今なのか? もうたくさんだった。自分が弱っているときに、よってたかって蹴られているかのようだった。
それにもかかわらず、ガレスは自分がヘレナに対して深い思いを抱いていたと気づき自分でも驚いた。彼女が離婚を迫ったとき、衝撃を受けたからである。ガレスは気が動転した。意外なことに、自分が離婚を望んでいないことに気付いた。自分から求めたのであれば、それはよかった。だが、ヘレナから切り出された場合は別問題だ。そう簡単に彼女の好きにさせたくはなかった。
まず第一に、離婚が王としての威厳にどう影響するかと考えた。国王が離婚したとなると多くの疑問が生じる。また、自分の意思に反してその騎士に嫉妬を覚えた。自分に面と向かって男性らしさの欠如を持ち出したのも憎らしかった。二人に仕返しをしたかった。
「そうはさせない」ガレスは切り返した。「お前は永遠に私の妻として縛られているのだ。決して自由にはさせない。そしてお前が通じていた騎士にもし出会ったなら、拷問にかけて処刑する」
ヘレナが怒鳴るように言った。
「私はあなたの妻なんかじゃないわ!あなたも私の夫などではない。あなたは男じゃないんですもの。私たちの結婚は初日からひどいものだった。権力のための政略結婚だったのよ。何もかも反吐が出るようなことだった。いつでもね。真の結婚をする私の唯一のチャンスが台無しになったのよ」
怒りが沸騰したヘレナが一息ついた。
「離婚してくれなければ、あなたの正体を王国中にばらすわ。どうするかはあなたが決めて」
そう言うとヘレナはガレスに背を向け、部屋を横切り、開いた扉から出て行った。扉を閉めようともしなかった。
ガレスは石造りの部屋に一人たたずみ、ヘレナの足音がこだまするのを聞いていた。ふるい落とすことのできない寒気を感じていた。すがれる確かなものはもう何もないのだろうか?
ガレスは開いたままの扉のほうに目をやり、震えながら立ちすくんでいたが、誰か別の者が入って来るのを見て驚いた。 ヘレナとの会話を、脅しを整理する間もなく、ファースの見慣れた顔が入って来た。申し訳なさそうな表情でためらいがちに部屋に入ってくる彼に、普段の弾む足取りは見られなかった。
「ガレスかい?」ファースは自信なさそうな声で尋ねた。
目を見開いてガレスを見ながら、心苦しい様子でいるのがガレスにもわかった。そのほうが良いんだ、ガレスはそう思った。 ガレスに剣を振り上げるよう仕向けて決心させ、実際よりも偉大な者であると信じ込ませたのはファースなのだから。彼がそそのかさなかったら、どうなっていたかわからない。ガレスは試そうともしなかったかも知れない。
ガレスは激しく怒りながら彼のほうを向いた。やっと自分の怒りを向ける相手を見つけた。そもそも、ファースこそ自分の父を殺した張本人だ。この馬舎の愚かな少年がこの一連の混乱に自分を巻き込んだのだ。今となっては自分はできそこないの、マッギルの後継者の一人となっただけだ。
「お前なんか嫌いだ」ガレスは怒りで煮えくり返った。「お前の言った約束が今ではどうだ?私が剣を振りかざすだろうと言った確信は?」
ファースは緊張に息を呑んだ。言葉もなかった。何も言うことがないのは明らかだ。
「申し訳ありません、陛下」彼が言った。「私が間違っていました」
「お前のすることは間違いばかりだ」ガレスが鋭く言う。
確かにそうだ。考えれば考えるほど、ファースがいかに誤っているかを悟るばかりだ。実際、ファースがいなければ父はまだ生きていただろう。そしてこのような騒ぎに巻き込まれることもなかった。王位の重圧が自分にのしかかることも、すべてがうまくいかなくなることもなかったろう。ガレスは、自分が王になる前、父の存命中に過ごしていた平穏な日々が恋しかった。突然、元の状態をすべて取り戻したい衝動に駆られたが、それは不可能だった。何もかもすべてファースのせいだ。
「ここで何をしている?」ガレスが詰問する。
ガレスは明らかに緊張した様子で咳払いをした。
「えっと、召使たちが話していて・・・噂を聞いたものですから。ご兄弟があちこちで聞きまわっていると、耳に入ってきて。召使たちの働くところで、凶器を見つけるために汚物の落とし樋を探っているのが目撃されたって。父君を刺すのに使った短剣です」
その言葉にガレスは全身が冷たくなり、衝撃と恐怖で凍り付いた。これ以上ひどい日があろうか?
彼は咳払いをした。
「彼らは何を見つけたんだ?」ガレスが尋ねた。喉が渇き、ことばがうまく出てこない。
「わかりません、陛下。何か疑っているということしか」
これ以上深まることなど予想できなかったガレスのファースへの憎しみが一層強くなった。彼のへまさえなければ、凶器をきちんと始末してさえいれば、このような状況に置かれることもなかった。ファースのせいですきができてしまった。
「一度しか言わない」ガレスがファースに詰め寄り、これ以上はないほどの怖い顔で言った。「お前の顔など二度と見たくない。わかったか?私の前に二度と現れるな。お前を遠く離れた場所へ追放する。そしてこの城の敷居を再びまたぐことがあれば、お前を逮捕させる。」
「さあ、行け!」ガレスが叫んだ。
ファースは目に涙をため、振り向いて部屋から出て行った。廊下を駆けていく足音がずっとこだましていた。
ガレスは再び剣と儀式の失敗に思いをめぐらせた。自分で災難の口火を切ってしまったような気がしてならなかった。崖っぷちへと自分で自分を追い込み、ここから先は下降の一途をたどるだけのように感じられた。
父の部屋で、静けさの中に根が生えたように立ち尽くし、震えていた。自分が一体何を始めてしまったのかと考えながら。これほど孤独を感じ、自信を喪失したことはなかった。
これが王になるということなのか?
*
ガレスは石造りのらせん階段を早足で上り、次の階へ、城の最上階の胸壁へと急いだ。新鮮な空気が必要だった。考える時間と場所が。宮廷、臣民を見渡し、それが自分のものであることを確かめる王国で最高の場所が。悪夢のような一連の出来事があった後もなお、自分がいまだ王であることを確かめるための。
ガレスは従者たちも退け、たった一人で踊り場から踊り場へと、息を切らして走り続けた。一回だけある階に立ち寄り、身をかがめて息をついた。涙が頬を伝った。自分を叱る父の顔が、いたるところで目の前に浮かんだ。
「あなたなんか嫌いだ!」宙に向かってガレスは叫んだ。
嘲けるような笑いを確かに聞いたような気がした。父の声だ。
ガレスはここから逃げたかった。振り返り、走り続けてやがて最上階に着いた。扉から走り出ると、新鮮な夏の空気が顔に当たった。
深呼吸をして息をつき、太陽の光とあたたかい風を浴びた。父の王衣を脱ぎ、地面に投げ捨てた。暑くて、まとっていたくなかった。
胸壁の端に行き、城の壁につかまった。荒い息で宮廷を見下ろした。切れることのない人の波が、城から出て行く。儀式、自分の儀式が終わって帰る者たちだ。彼らの落胆がここからでも感じられた。誰もが小さく見える。皆が自分の支配下にあることに驚くばかりだった。
だが、それはどれくらい続くのだろう?
「王であるというのはおかしなものよ」老人の声がした。
ガレスは振り向いて驚いた。アルゴンがほんの数歩先に立っていた。白い外套と頭巾を身に着け、杖を手にしている。彼は口元に笑みを浮かべてガレスを見た。目は笑っていなかった。輝きを持った目がまっすぐに向けられ、ガレスは追いつめられた。多くを見抜く目だ。
アルゴンに言いたいこと、尋ねたいことはガレスには山ほどあった。だが、剣を振ることに失敗した今、それらの一つたりとも思い出せなかった。
「なぜ教えてくれなかったのだ?」ガレスは絶望を声ににじませながら聞いた。 「私が剣を振りかざすよう運命づけられていないと伝えることもできたであろう。恥を防ぐことも」
「私がなぜそうしなければならない?」アルゴンが尋ねた。
ガレスが睨み付ける。
「そなたは真の王の相談役ではない」ガレスが言った。「父の相談役は務めようとしていた。が、私にはそうしない」
「お父上は真の相談役を持つにふさわしかったからではないかな」アルゴンが答えた。
ガレスは怒りを募らせた。この男が憎くて、非難した。
「そなたは私には必要ない」ガレスが言った。「父が雇った理由はわからないが、宮廷にそなたはもう要らない」
アルゴンが笑った。虚ろで、怖ろしい声だった。
「お父上は私を雇ったりなどしておられない。愚かな者よ」彼が言う。「その先代のお父上もだ。ここにいるのが私の運命なのだ。実際には、私が彼らを雇ったのだ」
突然、アルゴンは一歩踏み出すと、魂を見抜くようにガレスを見た。
「同じことがそなたにも言えるだろうか?」アルゴンは尋ねる。「そなたもここにいるよう運命づけられているのだろうか?」
その言葉はガレスの痛いところを突き、ぞっとさせた。それこそ、自分でも考えていたことだった。これは脅しではないかと思った。
「血によって君臨する者は、血で支配する」アルゴンはそう告げると、素早く背を向け、歩き始めた。
「待ってくれ!」ガレスが大声で言う。アルゴンを行かせたくなかった。答えが欲しい。「それはどういう意味だ?」
ガレスには、自分の統治が長くは続かないというメッセージをアルゴンが伝えているように思えてならなかった。アルゴンが言いたかったのはそのことか、知る必要があった。
ガレスはアルゴンを追った。だが、近づいた瞬間、目の前でアルゴンが消えた。
振り返って周囲を見回したが、何も見えなかった。どこかで虚ろな笑い声が響くだけだった。
「アルゴン!」ガレスは呼んだ。
もう一度振り返り、天を仰いだ。そして片膝をつき、頭をのけぞらせて甲高く叫んだ。
「アルゴン!」
第七章
エレックは大公、ブラント、そして数十名の大公の側近たちと並んで、サバリアの町の曲がりくねった道を進んだ。一行が召使の少女の家へと向かう間、群衆が溢れ出てきた。エレックが少女にすぐにでも会いたいと申し出て、大公が個人的に案内をしたのだった。大公が行くところにはどこにでも人々がついていった。エレックは膨らみ続ける側近の一団を見回し、少女のところへ大勢の人間を従えて行くことになり困惑していた。
初めて彼女を見て以来、エレックは他のことが考えられなかった。この少女は一体誰なのだろう、と彼は思った。気高く見えるにもかかわらず、大公の屋敷で召使として働いている。なぜ自分からあんなにあわてて逃げたのだろう?長年、王族の女性たちにもすべて出会いながら、この少女だけが自分の心をとらえたのはなぜだろう?
これまで王族たちに囲まれて生きてきて、自分も王の息子であるため、他の王族も一瞬にしてそうと見分けることができた。そして彼女を見つけた瞬間、今よりもずっと高い身分の者だと感じ取ったのだった。彼女が誰なのか、どこから来たのか、ここで何をしているのか知りたくて好奇心でうずうずしていた。もう一度この目で見て、自分が想像しているだけなのか、再び同じ感覚を持つのか、確かめる必要があった。
「召使たちは、少女が市の郊外に住んでいると教えてくれました」大公が歩きながら説明する。一行が進むのを、道の両側で人々がよろい戸を開けて見ていた。大公と側近たちが普通の道に現れたことに驚いた様子だった。
「見たところ、彼女は宿屋の主人の召使のようです。出自、どこから来たかは誰にもわかりません。ある日この市にやって来て、宿屋で年季奉公に入ったということしかわからないのです。彼女の過去は謎のようです」
一行はまた別の横道に曲がった。進むにつれ、敷石は一層歪み、小さな家々は密集してどんどん傾いたものになっていく。大公は咳払いをした。
「私は特別な行事のときだけ彼女を召使として雇いました。静かで人付き合いを避けています。誰も彼女のことはあまりよく知らないんですよ、エレック」大公はやがてエレックのほうに向き直り、その手首に手を置いて言った。「本当によろしいのですか?誰であったとしても、この女性はただの平民です。あなたには王国のどの女性でも選ぶことができるのですよ」
エレックは同様の真剣さで大公を見つめた。
「私はこの少女にもう一度会わねばなりません。誰であっても構いません」
大公は賛成しかねる様子で首を振った。一行は歩き続け、道を何度も曲がり、狭く曲がりくねった路地を通って行った。サバリアのこの一角は更にみすぼらしい様相を呈してきた。道端には酔っ払いが溢れ、汚いものが散らかり、鶏、野良犬がそこらじゅうを歩き回っていた。酒場を幾つも通り過ぎ、常連客の叫びが外に響く。一行の前で何人もの酔っ払いがよろめいていた。日没とともに、道にはたいまつがともされた。
「大公に道を開けるのだ!」侍従長が叫びながら前に走り出て、酔っ払いを脇に押しのけた。道端ではどこも、いかがわしい者たちが道を開けて、大公がエレックを連れて通り過ぎて行くのを驚いて見守っていた。
一行はついに小さい、粗末な宿屋に到着した。しっくい造りの建物で、スレート葺きの屋根が傾斜している。下の酒場には50名ほどの客を、上の階では数名の宿泊客を収容できるようだ。 正面の扉は歪み、窓は一枚割れている。入口のランプは曲がって、たいまつはろうが減って点滅していた。扉の前で一行が止まった時、酔っ払いの叫び声が窓から溢れていた。
あのような素晴らしい少女がなぜこのような場所で働いているのだろうか? エレックは不思議に思い、中から漏れてくる叫び声ややじを聞いて怖ろしくなった。彼女がこのような場所で屈辱を耐え忍ばなければならないことを考えると心が痛んだ。 これは間違っている、 エレックはそう思い、彼女を救おうと決心した。
「これ以上ひどいところはないような場所に来て花嫁を選ぼうとなさるのはなぜですか?」大公がエレックのほうを向いて尋ねた。
ブラントも彼を見た。
「これが最後のチャンスだ」ブラントが言った。「城に戻れば王家の血を引いた女性たちが大勢待っているのだぞ」
だがエレックは首を振った。決心が固かった。
「扉を開けよ」エレックが命令した。
大公の家来の一人が走り出て、扉を強く引いて開けた。気の抜けたエールの匂いが漂ってきて、家来はたじろいだ。
中では酔っ払いたちがバーにかがみ込むか木のテーブルに腰かけるかして、大声で叫んだり、互いに押し合いへし合いしては笑ったり、野次を飛ばしたりしていた。腹が出て、ひげは剃らず、服も洗っていない。がさつな人々であることはエレックにもすぐにわかった。彼らは戦士ではない。
エレックは中に数歩入って彼女の姿を探した。あのような女性がこんなところで働くなど想像できなかった。違う場所に来たのではないかと思った。
「すみません、ある女性を探しているのですが。」エレックはそばにいた男に尋ねた。腹が出てひげも剃っていない、背が高くて恰幅の良い男だ。
「で、あんたは?」男はふざけて言った。「来る場所を間違えたんじゃないか!ここは売春宿じゃない。通りの向こう側にはあるがな。みんなぽっちゃりして良い女らしいぜ!」
男はエレックに向かって大声で笑い始めた。仲間も数人それに加わった。
「売春宿を探しているのではない。」エレックはしらけた様子で答えた。「ここで働いている女性だ」
「じゃあ、宿屋の召使のことだろう。」別の大柄な酔っ払いが言った。「多分、奥のどこかで床掃除でもしてるよ。うまくいかねえな、あっしの膝にでも座っててくれたら良いのにな!」
男たちは皆、自分たちの冗談に盛り上がって大声で笑った。エレックは想像して顔が赤くなった。恥ずかしくなったのだった。こんな者たちに彼女が仕えなければならないとは、エレックには考えたくもない屈辱だった。
「それで、お前さんは?」別の声がした。
誰よりも太っている男が前に進み出た。濃い色のあごひげと目、広い顎を持ち、しかめっ面をして、みすぼらしい男たちを数名従えている。脂肪は少なく筋肉質で、明らかに縄張りを示すかのように、威嚇的にエレックに近づいた。
「私の召使の少女を盗もうとしているのかね?」と詰問する。「そういうことなら表に出な!」
男は一歩前に出て、エレックをつかもうと手を伸ばした。
だが、長年の訓練で鍛え上げられている、王国で最も偉大な騎士エレックは、この男の想像をはるかにしのぐ反射神経の持ち主だった。男の手がエレックに触れた瞬間、エレックは行動に移した。男の手首をつかむと電光石火のごとく相手を回転させ、シャツの背をつかんで部屋の反対側まで押しやった。
大男は砲弾のように飛んで行き、数名の他の男たちも道連れにして、全員がボーリングのピンのように狭い部屋の床に倒れた。
店内がすっかり静まり返った。誰もが動きを止めて見ていた。
「戦え!戦え!」男たちが唱える。
宿屋の主人はぼう然として足がよろめき、叫びながらエレックに突進してきた。
今度はエレックも待ってはいない。攻撃に応戦すべく前に進み出て、腕を上げ、相手の顔にまっすぐ肘鉄をくらわせた。鼻がへし折れた。
彼は後ろによろめき、床にうつ伏せに倒れた。
エレックは前に出て、その大きさをものともせず相手をつかみ上げて頭の上に持ち上げ、数歩前進してから投げ飛ばした。男は宙を飛び、店内の半分の人間も共倒れとなった。
誰もが凍り付いた。野次も止んで、すっかり静かになり、誰か特別な者がここに来たのだとわかったようだった。だがバーテンダーが、突然ガラスの瓶を頭の上に持ち上げ、エレック目がけて走って来た。
エレックはそれを見て既に自分の剣に手をかけていた。剣を引く前に隣にいた友人のブラントが前に出てベルトから短剣を抜き、その切っ先をバーテンダーの喉に突き付けた。
バーテンダーは正にそこに向かって来て、止まって凍り付いた。短剣が彼の皮膚を突き破るところだった。恐怖に目を見開き、冷や汗をかいて、瓶を宙にかざしながら止まっていた。周囲はピンが落ちる音さえ聞こえそうなほど静まり返った。